暇人の、暇人による暇つぶしの文献調査と現地踏査に移転しました。
先日、全国遊廓案内の中身を読んでみてちょっと面白かったわけですが、情報が昭和一桁のものなので、市町村名も全く異なるし、社会情勢も違えば景色も全く違うわけで、これを見ただけでほいっと見学に行けるような感じでもなく。
それならば、他の情報も使いつつ、現在のどこなのかを同定してみようかなと思った次第。今回は自宅のPCの前に座って、そこから動かない(図書館などに行かない)範囲でどのくらい攻められるのか。そこにポイントを絞って挑戦してみます。
全国遊廓案内に記載されている場所を試しに同定してみる
とりあえず、手始めにどこかを同定してみようと思います。
正直、どこでもよかったんですが。たまたま開いたページにあった
黒羽村遊廓
で試してみる事にします。まぁ、別にこういうものに慣れているわけではないので、適当な手探りでのチャレンジ。さてさてどこまで行きつけるかな。
基本書(全国遊廓案内)にはどう書かれているか?
『全国遊廓案内』,日本遊覧社,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1453000 (参照 2023-08-18) 黒羽村遊廓 は栃木県那須郡にあつて鉄道に依る時は東北線西那須野駅で下車し、太田原行電車に乗り太田原駅で下車し東方山中へ約七八里の処に当る山村である。馬車或は自動車の便がある。 山中に在る。ぽつりんとした小さな村であるが、隣りの川西町と共に那珂川の上流の河畔に望んで水運の便があるので、之の町には相当に近在の人々が集つて来るので、現在では遊楼が四軒、娼妓は約二十人程居る。御定りは二円位で酒肴が付いて一泊出来る。二円以上三円、四円五十銭と費用は客の任意であるが、特に本部屋としの設備がない様である 遊興は東京式廻し制、店は重に陰店を張つてゐる。娼娼は全部居稼ぎ制である。
とりあえず、場所の特定に使えそうなキーワードから調査。
適当に決めたここ。さてどこなんだろうか。 ヒントは「栃木県那須郡にあつて」と「黒羽村遊廓」の名称。 「栃木県那須郡黒羽村」というのはあるのかな?とともかく、ググってみるのが一番です。 そこで出てきたのが黒羽町。これが該当しそうなので、ここからたどっていきます。 「太田原行電車に乗り太田原駅で下車し東方山中へ約七八里の処」という記載。ここもWikipediaを見ていると関連しそうな東野鉄道の記載。こんなところに鉄道がとおっていたんですね。 その鉄道を使用して大田原駅から約七八里。その大田原駅はどこ?ってのもWikipediaにちゃんと書いてありました。便利ですねぇ。
駅の住所は「栃木県大田原市山の手2-15-1」。
脇には「ぽっぽ通り」なんて記載もありますので、まさにここなんでしょうね。
ここから東方へ7~8里(約30km)って記載されています。地図を見つつ駅を起点に30kmも東に行く前提で場所を確認してみると「茨城県」に入ってしまいます。これは微妙だなぁ。ちょっとこの情報はイイカゲンっぽい。嘘、大げさ、紛らわしいってのはこういう好奇心煽る系の大人の情報じゃ当たり前ですよね。
そう思いつつ、Wikipediaの黒羽町のサイトに戻って、町役場の場所、緯度経度から場所を確認。
ここまでだと、駅からだと約10km。実際にはこの周辺にあったんでしょうね。とりあえずはあたりを付けたところで調査開始。
具体的な場所を地図から探す。
ここまで当たりが付けば、資料調査よりも力業でもよさそうな気がしましたので、昔の地図を見て探してみることにします。
その時に便利なのは「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」ですね。
勘ですけれども。遊廓ですから…お城と学校の近くにはあまりありませんので、そうなると松葉川の東岸側が熱い。
そんなおおざっぱな予想を基に、地図をざっと眺めてみると…前田と書いてあるところ(今昔マップのマッピングで見ると、国道461号線の一本南の道路の先。)の脇に囲われた記載をあっさり発見。こういう書き方はまさに「廓」の書き方。まぁ、工場とかの可能性もありますが、なんとなくですが、なんかまさにこれっぽい感じがします。
もうちょっと深堀。 国土交通省 国土地理院では、地図・空中写真閲覧サービスなるものがあって、これを使うと昔の航空写真を確認することができます。 これを見てみると 1963/10/24(昭38)に撮影した大田原の航空写真を確認することができます。
これを当てはめてみると、現在の大田原市学校給食センターは水田であることがわかります。 そうなると、そのわきが貯木場になっていることから、現在、塩那森林管理署 須賀川森林事務所となっている場所から東側への並び。もしくはこの貯木場が廓である可能性が高いと言えそうです。
しかも、今昔マップの表記を見ると、等高線のひかれた前までになっているので、貯木場の先の林の部分まではかぶらない。
その辺りをGoogle Street Viewで確認してもそれらしい何かは全く見当たりません。場所の同定が当たっているんだとすれば、とりあえずはもう跡形はなさそうだって予想が立ちます。
他の人の答えも調べてみる
自分のざっくりといい加減な予想を立てたところで、他の方の予想をググってみることにします。
ググると最初に出てくるのがエキスパートモード:栃木県大田原市黒羽遊郭跡地を歩く。かなり情報を丁寧に調べている感じでかなりすごい。下野新聞のデータベースを利用して調べられたんですかね。私は契約していないので、ちょっと一時ソースに当たれないのが残念ですが。気になったのは
「下野新聞」によると黒羽遊郭の開業は1902(明治35)年1月25日と記されている。(省略)1899(明治32)年に栃木県知事により発布された「遊郭設置規定」にて、これまで「遊郭を作っていいよ」とされていた県内16カ所の遊郭設置指定地に加え黒羽も突然追加された。
って点ですね。
次に出てきたのが 黒羽遊廓 栃木県大田原市前田|酒場放浪記 居酒屋周路(いざかやしゅうじ) というサイト。 これにはまさにドンピシャな情報がリンクしてあって…
黒羽に遊郭 pic.twitter.com/3mOZifFVFB
— 000 (@kjksk_000) June 11, 2019
この画像はどこかに書いてある案内看板ですかね…この案内看板が正しければ、予想の場所でビンゴですね。
で、さらにググってみると、がりつうしん | 栃木県遊廓設置規程(明治32年)というサイトがヒット。栃木県が定めた遊郭設置規程が文字起こしされて記載されています。これはなかなかナイス情報。でも、やっぱり、できればオリジナルソースに当たれないかなぁ。と、「栃木 遊廓 規程」なんてキーワードで資料探していたらあっさりと見つかりました。さすが国立国会図書館。栃木県の令達をまとめた資料に「遊廓設置規程(明治三二年九月)」の記載がありました。
栃木縣知事官房 編纂『現行 栃木縣令達全集 下巻』,下野新聞,1907. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2938545 (参照 2023-09-04) 宇都宮市河原町,下河原町 河内郡富屋村大字上鳥谷(※下の住所と同じ、がりつうしんさんの資料では「字長福寺」) 下都賀郡小山町大字上鳥谷字長福寺 下都賀郡富山村大字富田字竹ノ内 下都賀郡壬生町大字壬生字下台東 下都賀郡家中村大字平川関取塚 安蘇郡堀米町大字堀米字安良町上北 足利郡御厨村大字福居字中里小字上 上都賀郡鹿沼町大字鹿沼字後宿 上都賀郡西方村大字金崎字原 上都賀郡今市町大字今市字清水川 上都賀郡足尾町字向原 塩谷郡喜連川町大字喜連川字松並 塩谷郡氏家町大字氏家字伊勢後 塩谷郡矢板町大字矢板字東原 那須郡大田原町大字大田原字深川西,念仏塚,赤堀ノ内 那須郡佐久山町大字佐久山字四ツ谷 那須郡烏山町字東裏 那須郡黒羽町大字前田字郷前 那須郡東那須野村大字黒磯字原街道上 芳賀郡真岡町大字荒町字妹内 芳賀郡茂木町大字茂木字上ノ平 芳賀郡久下田町大字谷田貝字天水場
これと照らし合わせてみると「那須郡黒羽町大字前田字郷前」の文字がありますので、私の調査したものでほぼ間違いないと確証が得られました。
では…現地調査に…
現地調査に行ける状況にはなりましたが、Google Street Viewを見るかぎり、遺構も何もなさそうなうえに不便な場所っぽいので、これはこれでまた別の機会に…って感じですね。
とりあえず、便利な世の中になったもんで、PCの前から一歩も動かずにここまでできるんですねぇ…。すごい世の中だ。
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